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2013.04.28 Sunday

ミュージックガーデンK21の思い出

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    今私がギターの仕事をしているのは、そのお店があったからだと思っています。


    30数年前、私は岐阜県白川町でパイプオルガンを製作している工房「辻オルガン」で新米として下働きをしていました。
    廃校になった小学校を改造して工房としていて、先生の辻さんの住居も従業員の寮もその旧小学校内にありました。


    食事は、先輩方とローテーションで日替わり当番でしたが、10時・3時のおやつの準備とかたずけ、トイレの掃除、風呂焚きは主に新米の仕事でした。


    私の工場での仕事は、パイプオルガンの中心である「風箱(チェスト)」とか「鍵盤」とかより、周辺のキャビネットが多かったです。家具のようなものです。


    パイプオルガンは大きくなると、制作に1年〜3年と時間が掛かかるので、楽器全体を把握するのに年季がいります。新米はお茶酌み雑用で仕事がたびたび中断するので、今日は何を作っていたのか自分で解らない日もあります。


    それが修行というものですが、血気盛んな若者は、次第に一人で1から10までやれるもっと小さな楽器・ギター製作/修理に興味が湧き出して来るのでした。(ロックに夢中だったこともありますが。)


    そのとき、ギターに触れに通っていたのが木曽川沿いにあった、K・ヤイリのショップ「ミュージックガーデンK21」でした。K・ヤイリのギターがたくさんあったのはもちろん、ミキシングルームにステージ、喫茶店まであり、理想的な空間に思えたものです。


    いつもギター好きの若い人がたくさんいて、ギターを鳴らしています。人前でギターを弾くのにためらったシャイな私は、リペアの道具などを勝手に見たりして「俺は楽器職人だよ〜」と変に自己アピールしつつも、人の輪に入って行くことができませんでした。


    それでも、ギターの世界に浸れるその空間が好きでしたので、片隅でウジウジしながらも楽しんでいました。


    また、知人づてにK・ヤイリの工場の見学をお願いして、日曜日に社内を散策させてもらったりしました。そのときの案内役のお兄ちゃんが、「ここで一人で1から10までやることはないよ」と私に教えてくれたのです。


    それまで、兎に角「ギター」に転向したくて東京の高田の馬場をうろついたり、御茶ノ水で足を棒にしたり、どこかできっかけを掴もうとしてあがいていましたので、「国内ではダメかなぁ」と案内のお兄ちゃんの言葉からヤイリへの勝手なアプローチを断念して、最終的には米国のギター製作学校「ロバート・ベン・スクール・オブ・ルセアリー」に留学を選択したのでした。


    アメリカ行けばどうにかなる訳でもないんですけど・・・・・・


    その後、K21が木曽川の増水によって流されてしまった、と聞きました。たった3年存在しただけだそうです。あれは幻のようだった気がします。3年の現実の幻の殿堂。


    リペアの仕事で、S・yairiとKヤイリが数機続いたんで、また「K21」のことを久々に思い出したのです。
    ここが原点だったと改めて思います。

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    ギターリペア9notes HPへどうぞ(岐阜)


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