2014.08.02 Saturday

SUNSUN椛の湖コンサート・リポート

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    地元・中津川市の坂下町・花の湖で行われた「SUNSUN花の湖コンサート2014」に行って来ました。
    出演者は、地元バンド4組のほか 遠藤賢司、小室 等、佐藤タイジ(シアターブルック)、高田 漣、
    仲井戸“CHABO”
    麗市。

    告知・宣伝が遅かったためにお客さんの入りは、いまいちでしたが、手作り感のあるいいコンサートでした。
    地元バンド「時間」のメンバーが友人なので、その開催準備びの苦労話を聞いていましたから、天候含めこのコンサートの成功を祈っていました。(何を持って成功というのか?それは出演者とお客さんの顔を見れば明らかですね。  大成功でしょう!)

    「フォークジャンボリー」の存在を知るものにとって、中津川の花の湖は「聖地」と呼ばれます。
    岡林信康が吉田拓郎がはっぴいえんどが立ったのが、このステージです。(私は話しか知りませんが・・・)だからこそ、60年〜70年初期のフォークファンにとっては伝説の地なのです。

    それを伝えたいとの思いから、今回の運営を若い人に任せたところがあるようです。このコンサートの副題が「フォークジャンボリーを知らない子供たちへ」となっているところからも伺えます。60歳代の参加者が目立った会場でしたが、若い人にもこの気概が伝わるといいですね。その「気概」とは。

    小室等さんが正にそのものでした。現政権の政策から原発の問題をさりげなくコメントしての司会進行をしていました。この「反権力」が60年安保世代のメッセージなんでしょう。若い人がそれをそのまま受け取る必要はないでしょうが、コンサートのラストで「出発の歌」で全員の大合唱になる意味は、引き継がれていって欲しいと個人的には思いました。

    小室さんも高田渡の息子の
    漣さんをフューチャーしていましたね。高田渡へのリスペクトがそうさせるのでしょうが、このコンサートを息子へつないで行って欲しいとの親心みたいなものを感じました。高田渡さんは岐阜県が出身地だそうで、おじいさんは詩人だったそうです。高田家の岐阜県繋がりみたいなものが今後もあるかも知れません。

    漣さんは渡さんのギターを携えて来ました。12フレット以降のフレットは必要ないと指板のハイポジションにフレットがないギターです。漣さんはいいギタリストですね。一度観たいと思っていました。チャボやタイジに比べるとテクニックはないかも知れませんが、職人肌の真面目なアプローチは共感できます。チャボも彼を立てて楽しそうでした。

    こうやってアットホームな雰囲気な中、無事終了しましたが、音楽愛好家の年齢が高齢化していく問題を考える機会を得た感じです。米国のようにギターを共通項に、お年寄りはカントリー、中堅はロック・ポップ、ティーンエンジャーはヘビメタ と重層化したギターミュージックが日本に根付くかどうか、若い世代の「音楽への渇望」が答えを出すことでしょう。

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    2013.05.14 Tuesday

    からっぽの世界”ジャックスと早川義夫”

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      驚いたのが、1972年発行のジャックス・早川義夫のエッセイ「ラブ・ゼネレーション」が2011年に再発行されていたことです。


      中津川フォークジャンボリー関連の資料本を読もうと図書館でリクエストしたら、新しい本が届きました。


      再び歌い出した早川義夫の動向に合わせての再発行かと思います。


      第一回中津川フォークジャンボリーに出演したジャックは、数年の活動で解散し、その後、作詞作曲を手掛けたボーカルの早川義夫は「本屋」になりました。ファーストアルバム「ジャックスの世界」は伝説のアルバムになっています。


      ウチにもLPがあったように思うのですが、探しても出てきません。兄のものですが、その曲は暗かった印象しかありません。事実Youtubで聞いても暗い曲でした。でも、暗いのが悪いって意味ではないですよ。


      「ラブ・ゼネレーション」の内容は、「新譜ジャーナル」(懐かしい!)などに書き下ろした文章から構成されています。


      その中から解ったことは、岡林信康と仲がよかったこと。(岡林はボブ・ディランばかりを聴き、早川はビートルズばかりを聴いていた。)


      フォークジャンボリー周辺人脈と交流したいたが、フォークソングは好きでなく、むしろ歌謡曲が好きなこと。(本の中に載っていたフォークソングの歌詞は、そのまま読んでも面白くないと私も感じた。職業作詞家が書いた歌謡曲の歌詞は、さすがに活字にしても表現力にすぐれてた。)


      中川五郎とは、お互い近いものを感じていたけれど、いつも行き違いがあるらしい。(URCの広報誌「フォークリポートに中川が書いた小説が「わいせつ裁判」に発展したこと。そのときの編集者が早川。)


      カルメン・マキは好きでないらしい。


      ジャックスに「つのだひろ」が在籍していたこと。(知らなかった。)


      売れない頃からプロ意識が強かったこと。その同時すでに結婚して子供もいたこと。


      バンドを解散してから、本屋に履歴書を持参して就職活動していたこと。(小さな書店で店員になり、その後独立して本屋の親父になったのか。)


      そのほか、この本以外の情報からもっと身近に感じたことは、


      ジャックスに影響されたミュージシャンがたくさんいたこと。パンク系では遠藤ミチロウやこの本の解説を書いたJOJO広重、他にダウンタウンブギウギバンドは「堕天使ロック」をカバーしている。)


      早川義夫はノイズ系の灰野敬二とジョイントライブをしていたこと。(ジャックスの早川は灰野敬二とそっくりだと、この本の写真で思っていた。実は私も20代こんな風にしていたことも・・・)


      早川義夫は独特の世界感をもっていて、それが歌詞にも現れています。その言葉は聴くものを揺さぶります。


      1972年発行のこの本の序文から


      「美人喫茶に美人がいないのと同じように、フォークコンサートにもフォークソングなぞない。
      むろんロックコンサートでもそうだし、
      当然、歌謡番組でも、歌謡曲なぞ聞けない。
      歌は歌のないところから聞こえてくる。」

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      関連記事
      http://9notes.jugem.jp/?cid=21

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      2013.02.03 Sunday

      勝手に解釈・私の「日本のフォーク史」その4

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         聞いた話をすぐに載せるのは、ちょっと性急かと思いましたが、近頃忘れやすいのでメモとして記してみます。


        [フォークジャンボリーの真実。]


        なぜ第三回全日本フォークジャンボリーが途中で紛糾して中止になったのか。

        工房へマーチンギターの修理依頼に来られた地元恵那のお客さんからお聞きしました。


        NHKがドキュメンタリー番組を取材に来ていたことが原因だったと、教えてもらいました。あまりこのことは、知られていないと。


        これまでは、資料などからステージの分け方や出演順を巡って出演者からのトラブルが原因かと思っていましたが、どうも集まった観衆から主催者側への意見申し立てが端を発しているようです。


        第一回、第二回とだんだん話題になり社会現象にもなってきた「中津川フォークジャンボリー」。その話題を取材しに来た巨大マスコミの権化NHKまたは商業主義、それに対し手つくりで会を催してきた参加者が反発した、それが真実だと言うのです。


        「反権力」だったと、続きました。フォークの歴史も披露しながら話に熱が入ります。「権力」に対する「力」が「音楽」と結びついたのでしょう。若者はそこに惹かれ自ら作詞作曲し自ら声を枯らして歌います。


        「権力」に歯向かう武器としての音楽。そこに楽器がありフォークギターがありました。そんな風に私は捉えました。


        興味が尽きない私は椅子から身を乗り出してつぎつぎに質問します。
        花の湖は国鉄駅「坂下駅」からけっこうな距離です。なぜ、こんな地方の外れでビッグイベントが催されたのか?


        「中津川労音」「笠木透」「高石ともや」などの名前があがりましたが、詳しい事情は得られませんでした。これについてはもっと内部の人間のお話が聞かれたら綴ってみたいと思っています。


        またフォークジャンボリー神話に惹かれ別の県から移住してきた車の修理屋さんにお聞きしたら、地元に手弁当で会を運営・設営した人達が結構おられるとお聞きしました。


        恵那市・中津川市には音楽同好会が今もたくさん存在します。絵画サークルの数も全国有数だそうです。
        これは、中津川が中仙道の宿場であり苗木藩の城下町であったことも、現在の文化系サークルに少なからず影響を与えてると想像します。日本画の前田青邨も出ていますし、坂下町の木曽川向かいは島崎藤村が出ています。


        独自の「華道」も盛んだと聞きましたが、これは「茶道」に繋がりますね。「栗きんとん」が「お茶」のお供だと考えれば、「茶道」「歌人」などの文化人が、この町に絶えず新しい息吹を注いでいたことになります。


        ちょっと地元びいきの解釈ですが、「中津川フォークジャンボリー」がこの地で行われたことは、中津川・恵那の財産だと私は思います。

         

        先のマーチンギターをお持ちのお客さん、「飛び出せ青春!」の主題歌「太陽がくれた季節」で大ヒットしたグループ「青い三角定規」のギタリスト「岩久茂」さんの同郷の友人でして、下のシングル盤に写っている「ヤマハFG・赤ラベル」の持ち主でした。実際に見せて戴きましたが、カラッとした抜ける音でコンディションさえ保っていれば、名機として残るだろうと感じました。



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        2013.01.20 Sunday

        勝手に解釈・私の「日本のフォーク史」その3

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          2012年を締めくくる恒例のNHK「紅白歌合戦」に、初出場で男性歌手として美輪明宏さんが「ヨイトマケの唄」を歌われましたね。この前後しか番組を観ていませんでしたが、三輪さんの歌は、説得力も歌唱力も抜群で「いい曲を聴かせてもらった。」と素直に思えました。


          「日本のフォーク史」その1 のブログの表紙に使った本の中に「1965年頃に社会派歌謡曲「返しておくれ今すぐに」(雪村いずみ)「ヨイトマケの歌」(丸山明宏)がつくられる。」とありました。


          「ヨイトマケの歌」は1965年に作られていたのですね。調べてみると「ヨイトマケ」とは、土方仕事の現場で滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声を語源とする、とあります。歌詞の中にある土方(どかた)が差別用語である理由から、長い間「放送禁止歌」であったそうです。
          (その後、桑田佳祐・槇原敬之・泉谷しげる等がテレビでこの曲を取り上げている、とある。)


          社会派の歌謡曲が作られた背景には、「フォーク」の存在が大だと思います。


          米国からやって来た「フォーク」のルーツは民謡で、作者不明の素朴な楽曲だったのが、次第にオリジナルのプロテストソングに変わっていった歴史があります。


          それが日本に輸入され、「安保闘争」で立ち上がっていった学生指示される「社会派のフォーク」としてスタートしています。「ザ・ブロードサイド・フォーの若者たち」「岡林信康のくそくらえ節」「高田渡の自衛隊に入ろう」「加川良の教訓機廖屮献蹇璽困寮鐐茲鮹里蕕覆せ匐,燭繊廚覆匹覆鼻(日本の民謡も取り上げられましたね。「赤い鳥の竹田の子守唄」など。)


          もちろん私的なことを歌ったり、叙情的な楽曲もありましたが、メッセージ性が高い楽曲が特徴だと思います。これは時代背景がそうさせているのでしょう。「日米安保」や「ベトナム戦争」そこにボブ・ディランやPPMそしてビートルズが入って来ましたから、日本の若者も物申す、となるのは当然のなりゆきだったでしょう。


          思想的な背景もそうです。まだ大学進学率は低かったでしょうから、そうまでして入った大学生の知的欲求は高かったでしょう。社会の不条理を解決する手段としての思想(社会/共産主義や実在主義〜構造主義)の導入が、「活動」としての「音楽」と捉えられた面もあるのではないかと私は解釈しています。


          「フォーク」の発表の場が学生による平和集会であったり、各地の「労音」主催であったり、「べ平連」であったりしています。


          現在、「べ平連」のことを詳しく語れる人は多くないんじゃないですか。私も実際にはよく知りません。小田実の本や鶴見俊輔の事を調べると出てきて知っている程度で、なかなか「べ平連」が「ベトナムに平和を!市民連合」の略だとは解らないですよね。


          まぁ。主催者側がそうであったり、学生がそうであっても「フォーク・ミュージシャン」がそのままベタな思想家だとは思えませんが・・・


          頭脳警察のパンタは「俺はマルクス主義者じゃないぞ」と言っていたし、初期のRCサクセションで「本当のことなんて言えない」と歌った忌野清志郎も頭じゃなくて魂の発露として歌ったとしか思えません。


          「新宿フォークゲリラ」については、別のところでブログを書いていますから、よかったらそっちも見てください。http://www.takamineguitars.co.jp/blog/2010/05/8.html


          それにしても、サッカーの応援歌で「赤い鳥の翼をください」が歌われるなんてとても不思議な感じ。
          私の世代は「歌声喫茶」なるものも知らないですが、サッカー場で「フォーク」を大合唱とは、ちっこい「思想」をはるかに越えていますね。

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          2012.12.07 Friday

          勝手に解釈・私の「日本のフォーク史」その2 吉田拓郎

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            私の中学生時代、フォークの2大勢力と言えば、「吉田拓郎」と「かぐや姫」でした。もちろん「グレープ」「井上揚水」ファンや「NSP」ファンはそれぞれいましたが、「拓郎」と「かぐや姫」はだんぜん強かったと思います。


            時代は、メッセージフォークから「ニューフォーク」に入っていました。ユーミンが「四畳半フォーク」と揶揄した音楽で、庶民的な身の回りの題材を唄にしていました。(「抒情派フォーク」とも言われた)


            それでも「ニューフォーク」の中心はフォークギターで、エレキギターはまだご法度の感じが残っています。


            岡林信康が「中津川フォークジャンボリー」後 失踪してから、時代のヒーローは「吉田拓郎」に移って行きます。


            私は拓郎より年下の世代なのでリアルタイムで彼のデビューを観てはいませんが、シングル版の「マーク/イメージの唄」は友人が持っており、学校帰りに友人宅に上がり込み聴いた記憶があります。


            「青春の唄」だと思ったものです。


            拓郎は「フォークのプリンス」と言われていましたが、中学生には大人に見えましたよ。正確に言うと「大学生のような大人」かな。


            当時、学園ドラマが流行っていまして、その舞台になる「高校生」ですら「青春している大人」でした。ましてや「同棲」なんかもしている「大学生」は私には「大人」の分類でした。


            「人間なんかララララ〜」と哲学的に聴こえた拓郎の唄は、「僕も大学生になったら、髪を伸ばして下駄履いて、中央線沿線の安アパートに住んで、難しい本を抱えたガールフレンドと大学なんぞ行くのかなぁ」と思わせるのに十分刺激的でした。


            一世を風靡した拓郎やこうせつがニッポン放送のDJをしていた深夜放送は眠くて聴いていませんでしたが、流行っていた「神田川」や「旅の宿」が私には東京のイメージにダブって見えます。


            リアルタイムで聴いていたフォークは、中央線沿線などを舞台にした日常を唄っていて「反戦・安保」テーマの唄は下火になっていました。


            失踪「岡林信康」後にファンが「吉田拓郎」派と「加川良」派に分かれる、と資料で読んだことがあります。「プロテストソング」は「加川良」で聴かれるのですが、パワー不足は否めませんね。私はそう思います。


            フォークギター一本で「プロテストソング」を歌うのは、時代遅れになって行ったのでしょう。フォークの人は認めないかも知れませんが、エレキで“ギャイーン”一発には適わないです。


            それは海の向こうニール・ヤングがボブ・マーレーが証明しています。


            しかしギター一本にこだわり、観客を酔わせる楽曲を拓郎は持っていたんですね。「つま恋」で「篠島」で彼はやってくれました。(拓郎は詩に特徴があるように言われていますが、実は曲作りに優れています。彼が作曲しヒットした曲はたくさんありますね。)


            「中津川フォークジャンボリー」で「帰れ!」コールを浴びながら熱唱した拓郎は「篠島」でのコンサートで「長渕剛」をゲストで呼んでいますが、長渕も「帰れ!」コールを浴びながら熱唱しました。


            「長渕剛」は「吉田拓郎」後のビッグな存在で「フォーク」の残像を残してくれています。


            最近は「拓郎」どうしているのだろうか?音楽バラエティー『LOVE LOVEあいしてる』(フジテレビ系列)でKinKi Kidsといっしょに司会をやっていたけれど、テレビにはもう出ないのかなぁ。(テレビ嫌いでしたね。)


            こうやって「拓郎」がうんぬん、と言うと、若い子はGLAYのTAKUROだと思うのでしょうね。


            私にとって「拓郎」は楽曲「落葉」とイコール。中学3年の時、音楽室を占拠して学校のおんぼろクラシックギターでみんなで歌いましたよ。ハイコードが無くて弾きやすかったですからね。
            もう一曲が「かぐや姫」の「あの人の手紙」。こっちも同じようなコード進行でハイコードがありませんでした。


            弦高の高いギターでのハイコードは鬼門でした。今も。

            (後日:「落葉」にはハイコードありますね。勘違いです。すみません・・・)

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            2012.11.17 Saturday

            勝手に解釈・私の「日本のフォーク史」その1

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              勝手に解釈・私の「日本のフォーク史」その1


              自分ながら「フォーク史」とは仰々しいなぁ、と思っています。少々無理のあるお題ですが、行ってしまいましょう。
              どこまで行けるかな〜。

              私の住む・恵那市は中津川市の隣街です。中津川市に再編されましたが「椛の湖」のある坂下町も地元とも呼べます。


              中津川と言えば、フォーク通にはピンとくる「中津川フォークジャンボリー」があった所ですよね。
              会場は、中津川市郊外(山の中の湖)「椛の湖」(はなのこ)です。


              私が18歳のとき、この「椛の湖」に訪れて感慨深く湖畔にたたずんだことを思い出します。
              「フォークの聖地」と認識してのことです。


              1961年生まれの私が第1回から第3回まで行なわれた「中津川フォークジャンボリー」(1969年から1971年の開催)を観ることなどない訳ですが、伝説として記憶にあったのは、兄がいたからでしょう。


              初めてフォークレコードを聴いたのが「サイモンとガーファンクル」でした。それをモノラルテープレコーダーでスピーカーの前にマイクを置いて録音し、布団の中で繰り返し聴いていた小学生でもありました。(「サイモンとガーファンクル」は暗い音楽だと思った。)それが初めてのフォーク体験ですが、次第に音楽そのものに惹かれて行きます。


              フォークと言えば、ギターと続くのが当時の常識でして、ギターの思い出と言ったら、兄がクラシックギターにフォークギターの弦を張り、真夜中にバ〜ンと大きな音を立ててブリッジが外れてびっくりしたことです。


              その後、モーリスのOMタイプのフォークギターを名古屋・大曽根の楽器屋で買っていましたね。(そのお下がりが私のファーストギター)


              ところで写真にある「日本のフォーク史」という楽譜集が当時からありました。
              大半が知らない曲でしたが、中学生になった私にもプロテストソングが多いことは解りました。
              その中でも「中津川フォークジャンボリー」はキーワードとして扱われていたと思います。


              私の頭に、「フォークソング」=「プロテストソング」という図式が出来上がってしまった原点はここですね。それは今も変わらずあります。(この文章はその視点から書かれています。)


              それはひるがえって、それは米国のシンガー「ボブ・ディラン」に行き着きますが、ほかに「ジョーン・バエズ」「PPM」が「プロテストソング」のフォークシンガーという位置づけになっています。


              ジョン・デンバーやS&Gは、「プロテストソング」と少し距離があるように思いました。また「ビートルズ」が発信しているメッセージも「プロテストソング」に通じるとも言えます。



              「中津川フォークジャンボリー」は、1969年8月15日から17日の「ウッドストック・フェスティヴァル」より早い開催だったと資料にはあります(8月9・10日)が、「平和の祭典」の色合いが強く、かつ「学生運動」の匂い漂うフェスティヴァルだったでしょう。


              英語なら「Love&Peace」ですが、日本語なら「反権力」「安保反対」といったところでしょうか。


              「中津川フォークジャンボリー」の出演者で、重要な人物は「岡林信康」です(プロテストソング/メッセージソングの発信者として絶大な人気を得ていたといいます。)が、中学・高校時代の私が彼の唄を聴くことはなかったです。彼は「フォークの神様」に祭り上げられ、いやになって隠遁してしまうんですね。それで80年代前後には彼の唄は姿を消してしまいます。(岡林が坂下に住んでいたと、その地にあるギターメーカー勤務のとき知人に聞かされ感嘆した私です。)


              しかし、音楽的に見ると彼の曲は、80年代前後には合わなくなっていたと思えます。曲調の変化が乏しくメッセージも厚みが不足していると感じます。70年前後の時代性があったとしても、すでに楽曲としては古く感じてしまいます。


              それでも、私は18歳から20歳までは「岡林信康」はじめ「フォークジャンボリー」出身シンガー「加川良」「あがた森魚」「三上寛」「友川かずき」「友部正人」など一生懸命聴きましたよ。


              古く感じながらも、「フォークジャンボリー」のノスタルジーを感じながら頑張って聴きました。そう、頑張らないと聴けなかったのですね。私はもうロックの虜になっていましたから、サウンド的にも、ビジュアル的にもちょっと物足りなかったのが正直なところです。(RCサクセション・忌野清志郎にぞっこんでした。)


              しかしここでの話は「日本のフォーク史」ですから、再び70年代、それも後半、中学生の頃に戻します。いわゆる「四畳半フォーク」のころ(正確には盛り過ぎ、ここからニューミュージックへと交錯して行く頃)に戻ります。


              「フォークジャンボリー」の生き残り「吉田拓郎」の話をしましょう。


              次回へ。

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